画一宗派(かくいつしゅうは)と分離独立派の抗争
1896年(明治29年)、醍醐寺が真言宗からの分離独立、金剛峰寺も同様の請願が、真言宗宗会に提出された。この請願は内務省で審議されたが、結局、不認可となった。
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1899年(明治32年)10月、真言宗宗会にて、画一宗派(古義・新義真言宗各派が合同協力して、全真言宗を統括していく)と分離独立派(古義・新義真言宗の各本山には、歴史的経緯や事相(真言密教の修法・儀礼)の流派の違いなどから、各本山ごとで独自の宗派を立てて、宗団を維持していく)の2派による対立があり、紛糾した。
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[編集] 古義八派・各派の分離独立
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1890年(明治33年)9月、真言宗高野派(金剛峰寺)・真言宗御室派(仁和寺)・真言宗大覚寺派(大覚寺)・真言宗醍醐派(醍醐寺)・新義真言宗智山派(智積院)・新義真言宗豊山派(長谷寺)・律宗(現・真言律宗)に対して独立が認可された。 さらに、1907年(明治40年)、真言宗東寺派(東寺)・真言宗山階派(勧修寺)・真言宗泉涌寺派(泉涌寺)・真言宗小野派(随心院)が独立し、真言宗は解体された。
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古義真言宗系宗派は、古義八派(真言宗高野派・真言宗御室派・真言宗大覚寺派・真言宗東寺派・真言宗山階派・真言宗泉涌寺派・真言宗醍醐派・真言宗小野派)となり、古義八派連合制度を組織した。
1925年(大正14年)、古義八派連合制度は解体され、宗派の自主独立制が採られた。
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真言宗高野派・真言宗御室派・真言宗大覚寺派は、合同して古義真言宗を組織した。古義真言宗は他の古義真言宗系宗派との間に真言宗各派協約を締結し、教師・住職の人材交流・相互協力を行った。
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[編集] 大真言宗(戦時下・戦後の宗団)
太平洋戦争下の1941年(昭和16年)、政府の宗教政策により、古義真言宗・新義真言宗系の宗派は大真言宗へ強制的に編入された。また、戦時中は、敵国降伏の祈祷が大真言宗の各本山・末寺において、たびたび行われた。
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戦後、大真言宗から独立していく古義真言宗・新義真言宗の宗派が相次いだ。新しい宗教法人制度が制定されて、この動きがさらに加速した。
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[編集] 大師信仰
宗祖・空海(弘法大師)への敬慕が厚い。10世紀には高野山で空海の入定信仰が起った。弘法大師信仰(大師信仰)を説いているのが真言宗の各派にいえる特徴の一つでもある。
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宗祖・空海(774 - 835年)は、讃岐国屏風浦(現・香川県善通寺市)の出身で、仏教者であるとともに思想家、著述家、また「三筆」の1人に数えられる能書家として、後の日本文化に多大な影響を与えた人物である。彼は延暦23年(804年)、遣唐使船に同乗して唐に渡り、長安・青龍寺の恵果から密教の奥義を授かった。また、唐で多くの仏典、仏具、仏画などを得、日本へ請来した。
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弘仁7年(816年)には高野山(和歌山県伊都郡高野町)の地を得て、ここに金剛峯寺を開創、弘仁14年(823年)には、平安京の官寺であった東寺を嵯峨天皇より下賜され、これら両寺を真言密教の根本道場とした。
835年(承和2年)3月21日に、62才で高野山で入定(にゅうじょう)した。空海が入定してから86年後の延喜21年(921年)に、弘法大師の諡号が醍醐天皇より贈られた。
[編集] 真言八祖(しんごんはっそ)
密教がインドで起こり、中国を経て、空海(弘法大師)に伝えられ、日本で独立した宗派として真言宗を開くまでに、八祖を経て伝えられたとする伝承がある。これを真言八祖(しんごんはっそ)という。
付法(ふほう)の八祖と伝持(でんじ)の八祖の二つがあり、空海は著作「秘密曼荼羅教付法伝」・「真言付法伝」で、真言密教の起源と付法の七祖・伝持の七祖(付法・伝持の八祖の内、弘法大師を除く七祖)の伝記や付法の系譜を記している。
本堂などに真言八祖((伝持の八祖)・絵像で制作されることが多い)を祀られているのが、真言宗の寺院の特徴の一つである。(祀られていない寺院もある。)
[編集] 付法の八祖
真言宗の法流の正系を示している。教主大日如来の説法を金剛薩?が聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜である。
大日如来(だいにちにょらい)
金剛薩?(こんごうさった)
龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
不空三蔵(ふくうさんぞう)
恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
弘法大師
[編集] 伝持の八祖
真言宗の教えが日本に伝わるまでの歴史に関わった8人の祖師。付法の八祖の内、大日如来、金剛薩?は歴史上の人物ではないために除いて、2人の祖師を加えた。八祖大師(はっそだいし)とも称される。 一人一人持ち物を持っているが、その持ち物は悟りの本質をあらわしている。
龍猛菩薩 : 大日如来の直弟子金剛薩?(こんごうさった)から密教経典を授かって、世に伝えたといわれている。(三鈷杵(さんこしょ)を右手に持っている)
龍智菩薩 : 龍猛から密教を授かった。(経文を右手に持っている)
金剛智三蔵 : インドで龍智から密教を学んだのち唐へ渡り、「金剛頂経」を伝える。(数珠を右手に持っている)
不空三蔵 : 西域生まれ。貿易商の叔父に連れられて唐へ行き、長安で金剛智に入門。「金剛頂経」を漢語に翻訳し、灌頂道場を開いた。(外縛印(げばくいん)を結んでいる)
善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう : インド生まれ。大乗仏教を学び、さらに密教を受け継ぐ。80歳になって唐に渡り、「大日経」を伝える。(右手の人さし指をたてている)
一行禅師(いちぎょうぜんじ): 中国生まれ。禅や天台教学、天文学、数学を学ぶ。長安で善無畏に入門し、善無畏の口述をもとに「大日経疏(だいにちきょうしょ)」を完成させた。(法衣のなかで印を結んでいる)
恵果阿闍梨 : 中国生まれ。金剛界・胎蔵界両部の密教を受け継いだ。(椅子に座り、横に童を待らせている)
弘法大師 : 恵果阿闍梨から金剛・胎蔵界両部を授けられ、日本に伝えて真言密教を開いた。空海。(五鈷杵(ごこしょ)を右手にもち、左手には念珠をもっている)
[編集] 教義
真言宗は即身成仏と密厳国土をその教義とする。本尊は宇宙の本体であり絶対の真理である大日如来。
所依の経典(基本の重要経典)は大日経(正式には大毘盧遮那成仏神変加持経/だいびるしゃなじょうぶつじんぺんかじきょう)と金剛頂経(正式には「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王教」、または「金剛頂瑜伽真実大教王経」、「蘇悉地経」(そじつぢきょう)・「瑜祗経」(ゆぎきょう)・「要略念誦経」(ようりゃくねんじゅきょう)・理趣経(りしゅきょう)などである。
論疏(論文の類)は「菩提心論」(ぼだいしんろん)・「釈摩訶衍論」(しゃくまかえんろん)・「大日経疏」(だいにちきょうしょ)などである。
空海の著作、秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)(「十住心論・じゅうじゅうしんろん)・「秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく)・「?顕密二教論」(べんけんみつにきょうろん)・「即身成仏義」(そくしんじょうぶつぎ)・「声字実相義」(しょうじじっそうぎ)・「吽字義」(うんじぎ)なども論疏としている。
三密((身密・手に諸尊の印契(印相)を結ぶ)、(口密(語密)・口に真言を読誦する)、(心密・心に曼荼羅の諸尊を観想する))の修行により、本尊と一体となり、即身成仏が実現するとしている。
[編集] 事相と教相
真言密教を学んでいくうえで、「事相」(じそう)と「教相」(きょうそう)が重要視される。事相は、教相の対語で、真言密教を実践する方法。修法の作法(灌頂・護摩・観法・印契・真言などの行法)を指し、教相は、真言密教の理論である。真言宗の主要経典「大日経」は教相の経典、金剛頂経は事相の経典である。
教相を学んでいくことで、真言密教の理論を理解し、理論を実践する方法を行うために事相を学ぶ。教相の裏付けのない、事相は無意味な動作になってしまうという。
事相・教相の両方を学ばなければ、真言密教が理想とする境地への到達は出来ないとされている。事相・教相の両方を習得する重要性を説くたとえとして、事相・教相を車の両輪に置き換えて説く場合がある。また、慈雲は「事相を離れて教相なく、教相を離れて事相なし、事教一致して、密義をつくすべき」と述べた。